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原子力安全研究のあゆみ

佐藤 一男

(財)原子力安全研究協会 理事長

(放射線教育Vol19,No.1に掲載されたもの)

 

[要旨]原子力の利用のために不可欠な安全を確保するための知見を供給する安全研究の重要性は、ますます高まっている。この安全研究は、原子力の安全の姿すなわち安全像の認識を反映して、その重点項目が変遷してきた。これを主として軽水炉の安全研究について振り返り、今後の課題を探ることにする。

 

1.はじめに

  平和利用の原子力は、今日では世界的にも無視できない基幹エネルギーとなっているが、その草創期から、安全を重視しこれに対処してきたという、他の技術分野に比べても誇るべき伝統を持っている。194212月、米国のシカゴ大学の構内で、人類最初の原子炉CP-1が臨界になった時も、出力の急上昇、すなわち反応度事故に備えて、極めて原始的なものではあったが、複数の緊急停止装置が、多様性を以て準備されていたことなどは、実に象徴的なことであった。

  だが、原子力のそもそもの発祥であった軍事利用の面では、安全性が十分に重視されていたとは決して断言できなかった。東西冷戦によって軍事利用が最重要とされた頃には、ウインズケール炉の事故、SL-1事故、更にはその被害状況は見方によっては後述するチェルノブイリ事故を上回るところもあると伝えられる「ウラルの悲劇」こと旧ソ連のチェリャビンスクの放射能放出等は、軍事利用に関連して発生したものである。しかし1950年半ばから本格的に開始された平和利用の分野では、公衆、従事者及び環境を適切に保護するという安全性の確保は、最優先事項とされ、これを支えるための安全研究も開始されるようになったのである。

  爾来、今日まで、様々な安全研究が行なわれ、それに基づいて安全確保の対策が取られてきた。原子力平和利用の意義、必要性は、一般公衆の多くがこれを認めるようになってきたが、安全性に対する懸念は依然として根強く存在している。安全性に対して正しい知識を提供して公衆の理解を獲得し、更に安全性を向上して原子力の一層の発展を遂げるために、安全研究は不可欠のものである。

  そればかりではない。科学技術というものは、常に向上を目指し、新しい知見を創造し反映していかないと、たちまち内容を失ってドグマと化し、形骸化してしまうものなのである。更につけ加えれば、安全研究の実施によってこの分野の専門家が多数育成され、安全確保のために不可欠な健全な技術基盤が形成されてきた。1999年のJCO事故の際に、当時の原研やサイクル機構で溶液系の臨界の研究をしていた専門家たちの活躍によって、臨界状態終息の手段の確認が、驚くべき短時間で実行されたことなどは、いまだに記憶に残るところである。実は当時の原研でこの研究を行っていたNUCEFと言う装置は、予算のつき方が遅れて、完成したのは六ケ所の再処理施設の許可が下りた後だった。「いまさら何をするつもりだ」などとずいぶん悪口も言われたものである。しかし、そこで地道な研究を積み重ねていた専門家の知見が、あの事故の終息に大きな力となったのである。「百年兵を養うは、ただ今日あるがためなり」という言葉が全くその通りと実感されたのである。

 これらの経験からも、安全研究を今後とも強力に実施していくことが、現在の安全のレベルを維持するためにも必要なことであることは明らかである。以下では、これらの安全研究の歴史を簡単に振り返り、更にこれを踏まえて今後我々が特に留意すべき点を指摘したいと思う。

  今日、「原子力安全研究」と呼ばれているものは、非常に広い範囲に渡っている。原子力安全委員会が「重点安全研究計画」として、平成18年度以降の研究の重点分野として示しているものだけでも、原子炉安全、核燃料サイクル、廃棄物、放射線影響などとともに、共通する分野としてリスクとシビアアクシデント、廃止措置その他の項目が示されている。また、これらの研究を実施する機関として、原子力研究開発機構、原子力安全基盤機構、放射線医学総合研究所その他の独立行政法人研究機関に加えて、大学、財団・社団法人、更に産業界の貢献も期待されているところである。

  これらのうち、ここでは主として原子炉、特に軽水炉の安全研究を中心とし、併せてその他の施設等に関連する研究の歴史を紹介することにする。というのは、原子力の安全の考え方、そしてそれを実現するための研究は、何といっても原子炉に関するものが中心となって今日まで展開されてきたからである。

  当然のことながら、研究の重点も時代とともに変遷してきた。これは、それぞれの時点での、原子力安全というものに対する認識、すなわち原子力の「安全像」、あるいはこれを裏返した原子力の「リスク・プロファイル」の変遷を反映したものである。

 

2.黎明期

  1950年代の終わりごろ、既に運転を停止している日本原子力発電株式会社の東海1号炉(コールダーホール型)の導入が計画された時に、この炉の耐震性が問題となり、様々な検討が加えられた。というのは、この炉の炉心は、極めて多数の黒鉛のブロックを積み重ねたもので、地震のような震動に耐えるかどうかが懸念されたからである。設計用地震の想定の一部に統計的手法が導入され、まだ定着していなかった動的設計の考え方も取り入れられ、当時としては大型の振動台による実験に基づいて、黒鉛ブロックの形状が一部変更されるなどした。当時は、今日に比べれば地震に関する知見も十分でなく、断層が動いて地震になるのか、地震の結果断層が動くのかが専門家の間で論争となっていた時代なのであるが、安全上特に重要と思われる部分は、一般の構築物等の3倍の地震力に耐える強度を要求するなど、画期的な考え方が打ち出された。今日でも耐震に関する研究は熱心に進められ、これに基づく耐震設計審査指針なども近く大幅に改訂されようとしているが、東海1号炉はその先駆となったものといえる。

  しかしそれでもまだ、原子炉にどのような危険性すなわちリスクがあるかを全体として捉え、体系的に研究課題を選定して研究計画を構築するには到底至っていなかった。すなわち、リスク・プロファイルが明確に意識されるにいたらなかったのである。例えば、この炉は格納容器がないことを問題と指摘した人はいたが、それではそれによってどれほど危険性が増大するのかは明らかではなく、またこれに関連する研究も行なわれなかった。

  1961年、米国のSL-1という実験炉が深夜突然暴走し、作業員3名が死亡するという事故 が起こった。これまで例がないほどの大暴走で、いろいろ予想しなかった事象も観察されたことから、反応度事故の研究をする必要が感じられた。米国でSPERTなどの炉を使用した研究が開始され、日本でもNSRR1975年に運転を開始して、今日まで研究が続けられている。これらの研究から、反応度制御装置等の設計要件などが明確にされ、また、わが国では反応度事故に対する審査指針が策定されたが、ここでも、反応度事故というものが、原子炉のリスク全体の中でどのような位置を占めるかは、あまり明確に意識されていなかった。

  1960年代になると、軽水炉の開発が進み、その経済性にも見通しが立つようになって、軽水炉時代が到来することが予見されるようになった。また、安全性についても、軽水炉には全体としてどのようなリスクがあるのか、そのリスクに対処すべき安全対策の全体の姿はどのようなものか、すなわちリスクプロファイルあるいは安全像を明確にしようという考え方も、次第に姿を現してきた。

  1960年代半ばまでの軽水炉の安全像は、頑丈な格納容器に原子炉を収容することにより、どんな事故でも放射性物質をこの中に閉込めておけるから、公衆や環境を危険にさらすことはない、という極めて単純で分かりやすいものであった。

  しかしこのような「格納容器万能」的な安全像とは対照的に、日本では、JPDRの導入決定を契機として、1960年代前半から、体系的な軽水炉の安全研究が、世界で初めて発足した。すなわち、軽水炉の配管等が損傷すると、高温高圧の冷却材が失われ、炉心の冷却ができなくなる、これがリスクの最も主要な源であるという考えで、一連の冷却材喪失事故(LOCA)の研究が開始されたのである。この研究は「SAFE Project」と呼ばれ、現在から見れば小規模であるが、システム・ブローダウン実験、炉心スプレイによる燃料冷却実験、冷却材喪失時の格納容器の内圧挙動などの実験と実験式の導出がなされた。これは世界的にも極めて先駆的なものであったが、残念ながらその後のフォローアップがなく、その後間もなく日本は米国等の後塵を拝することになってしまった。この頃は、安全研究などは、国民の不安をあおり、原子力のアクセプタンスに有害であると言う考えが、電力を中心とする産業界に多かったのである。

 

3LOCA/ECCS

  1960年代後半になると、軽水炉で冷却材が喪失して炉心が溶融すると、この溶融物が格納容器を破壊してしまう可能性が米国で指摘された。溶融した炉心は格納容器の底を貫き、更に岩盤も溶かして地球の裏側に達する、そこは中国だからこれを チャイナ・シンドロームという、などというブラックジョークが広まり、これは後に映画の題名にもなったほどであった。これは、格納容器万能とも言える安全像の、全面的な改定を迫るものであった。原子炉の安全を最終的に確保するためには「停止・冷却・閉込め」の3点が不可欠であること、したがって、LOCA(冷却材喪失事故)が発生した場合には、炉心を冷却することが必要であることが認識され、原子炉の安全研究計画が先ず米国で立てられた。この計画の中には、日本のSAFE Projectの結果がいくつか引用されているのだが、このことさえ、当時の日本ではほとんど知る人がいなかったのである。いずれにしても米国を中心として、LOCAを中心とする研究が開始された。ECCS(非常用炉心冷却系)という用語が登場したのはこのころのことである。

  ECCSに関連するある実験結果が、現在では当然と受け取られる結果であったのだが、当時の予想とは異なったことから、これがきっかけになって1960年代末から70年代初頭にかけて、ECCSの有効性について大論争が起こった。

  この論争の意義は極めて大きいものがあった。すなわち、それまで一部の専門家の関心事であった安全性が、社会的な関心事になるきっかけになった。さらに、安全性は、単に直観的にそう信ずるだけでなく、研究結果に基づいて科学的に論証されなければならないことが、次第に共通の認識となり始めたのである。すなわち「信仰から科学へ」と言う動きが出始めたのである。安全の論理を構築しようとする試みもこのころから始まった。DBA(設計基準事故)とかDefense in Depth(多重防護あるいは深層防護)などの用語が登場し たのは、1970年代初頭のことである。

  このころは、軽水炉のリスクはLOCAで代表されると思われており、更にLOCAは大口径配管の瞬時両端破断による、いわゆる大破断LOCAが最も過酷で、したがってリスクも大きいだろうから、安全対策や安全研究もこれに焦点を合わせておけばその他の事故は十分包絡できるはずだと、と考えられていた。このような考え方は「上限評価」と呼ばれるもので、多くの場合正しいのであるが、時にはこれが我々の判断を誤らせることがある。

  60年代末には、小破断LOCAにも気をつけなければならないことは意識はされていたが、「上限評価」の考え方を覆すようなことにはならなかった。当時の日本のROSA計画、また、2D-3D計画(PWRLOCSでの再冠水現象を研究するため、日・米・独が分担協力して、大規模な実験と解析を行なったもの)、そして米国主催からOECD主催の国際プロジェクトになって研究内容にも変化が生じたが、LOFT計画(小型ではあったが本物のPWRLOCAを起こさせて、ECCSの効果を実証しようとしたもの)などは、この時代の考え方を反映した大規模な研究の代表的なものである。そして、これらの大規模な研究には、いくつかの国が共同して必要な資源を負担するという、国際協力研究が盛んに行なわれるようになった。ちなみに、OECD主催になってからのLOFT計画には、10ケ国が加盟して共同運営を行ない、大きな成果を上げた。

  また、当時著しい進歩を遂げた計算機と解析技術を駆使して、大型の計算コ-ドが次々に作成された。これらの計算コ-ドの使用法に熟達すると同時に、その能力の限界を探るような計画も実施された、その代表的なものとしては、OECD NEA CSNIが行なった「国際標準問題」があり、これは世界の代表的な実験を選んで、各国が解析を試みて、その結果を比較するというもので、解析技術の評価と向上に大きな役割を果たした。また、新たに開発されるべき計算コ-ドの検証や試計算等にも使用できるように、代表的な実験結果も収集され編集された。例えば、OECD NEAの「Code Validation Matrix」などである。

  このような研究に比べれば少々地味な印象であったが、燃料の燃焼挙動とその健全性の研究や、配管や容器などの構造物の信頼性と破壊挙動などの研究、あるいは核分裂生成物(FP)の挙動の研究、放射線の医学・生物学的影響の研究などが、息長く続けられ、これが設計、製作、運転保守、評価などの場にフィードバックされた例は非常に多い。

  このような多彩な活動によって、当時懸案となっていた問題は次々に解決されるかに見え、一部には安堵感が漂いはじめた。ただしこれには、安全研究に巨額の予算と人員が投入される様になったと言うことによる、一種の安心感のようなものもあったと思われる。このような風潮に警鐘を鳴らしたのが、次に述べるWASH-1400だったのである。

 

4WASH-1400

  1970年代前半に、米国で、原子力損害賠償保険の料率を適正に定める目的で、原子力発電所の総合的なリスクを解析的に評価する最初の試みが、MIT教授のNorman Rasmussenと、当時のAECの研究局次長であったSaul Levinによって組織された。この研究の報告書がいわゆるラスムセン報告、WASH-1400と呼ばれるもので、1974年に報告書の原案が公開されて意見を公募し、1975年に最終版が公表された。この報告書は、付録も含めて3000ページにのぼる大部のもので、これを全部読んだ人は世界のどこにもいないなどと冗談がかわされていたものである。

  この研究の結論は極めて衝撃的なものであった。まず、原子力発電所のような巨大で複雑なプラントのリスクを、解析的・定量的に評価するなどは、到底不可能であると当時までは思われていたのであるが、技術的にはいくつかの問題点はあったものの、とにかく可能であることを実際に示したのである。また、軽水炉プラントのリスクの大部分は、設計の範囲を超えた事故によるもので、これはそれまでの安全の考察の範囲を超えており、当然研究の対象にもなっていなかった。しかも、このような事故が起こる確率は、当時まで何となく信じられていたよりも2桁程度は高いこと、大破断LOCAよりも小破断LOCAやその他のトランジエントの方が全体のリスクへの寄与は大きいこと(これはすなわち上限評価の考え方の否定である)、しかし、事故が設計の範囲を超えても、その結果はそれこそ千差万別であること(したがって、設計の範囲を超えた事故の研究が必要なこと)、人間の信頼性が極めて重要なこと、など、今では常識となっていることがはじめて解析的に明確に示されたのである。WASH-1400はこのようなリスク評価の最初の試みであったから、技術的にはいくつかの問題点を抱えていたのはむしろ当然であるが、ここに述べた重要な結論は、今日のより進歩し改良された手法による解析結果でも、変っていないのである。

  ところで、WASH-1400の前から、事故が設計の範囲を超える可能性がある、ということは意識はされていた。たとえば、当時米国の環境保護法に基づく環境影響報告書の記載要領案では、事故は9つのクラスに分類され、そのうちクラス8までは設計の範囲として対応し評価するけれども、最後の設計の範囲を超えるクラス9事故は、「結果はより過酷であるがその可能性は極めて低く、したがってリスクも低いから評価に及ばない」とされており、これがすなわち1970年代半ばまでの軽水炉のリスクプロファイルだったのである。リスクが低く、かつ評価もしなくてよいというのであるから、当然研究の対象にはなっていなかった。だが、これに対する厳密な論証などはなく、逆にWASH-1400のような反証は既に存在していたのである。すなわちWASH-1400は、このような「信仰」とも言うべき安全像を、根底から覆すものだったのである。

  科学技術的な報告書で、WASH-1400ほど内容の理解が不十分な毀誉褒貶が多かったものはあまり例がない。これで原子炉の安全問題は全て解決した、とばかりに持ち上げる人もいる一方で、この報告書が指摘している設計の範囲を超える事故などは、純理論的、思弁的産物で、実際には起こり得ないとして、これまでの安全像にこだわり続ける人も沢山いた。当時のNRCもそうで、19783月には、WASH-1400のいくつかの技術的問題点を理由として、確率論的安全評価に対して極めて否定的な政策声明を発表した。このような混乱に終止符を打たせたのが、この政策声明の1年後の19793月に発生したスリーマイルアイランド発電所の事故、いわゆるTMI事故であった。

 

5TMI事故/シビアアクシデント

TMI事故は、軽水炉の歴史では今日まで最大の事故であるが、何より衝撃的であったのは、設計の範囲を大きく超えるいわゆるシビアアクシデントが、現実に発生し得ることを実証したことであった。また、この事故は小破断LOCAの一種あるいは給水喪失と見ることができ、このような小破断LOCAやトランジエントの方が、大破断よりもリスクへの寄与が大きいというWASH-1400の結論の通りになったのである。それまでの安全像を基本的に見直す必要があることが痛感され、当然のことながら安全研究にも大きな影響を与えた。

  これに比べると、1986年に発生したチェルノブイリ事故は、事故の規模や被害ははるかに重大であったが、安全の考え方や研究の方向には、TMI事故の教訓も既に活かされていてあまりつけ加えることがなく、反面教師的役割を果たしたにとどまったといってよいであろう。すなわち、安全確保のためには、なによりも安全を最優先するという意識が全ての個人と組織に浸透している必要があるという、セーフティ・カルチュアが重要性が認識されたことが、最大の教訓といえるであろう。

  TMI事故の結果、まず、設計の範囲を大きく超えるシビアアクシデント(この用語は、TMI事故後の安全研究の進め方を検討した、OECD NEA CSNIの上級専門家グル-プが「発明」したものである)を含めて、事故のスペクトル全体を視野に入れたリスク・プロファイルが描かれ、研究の基本戦略が見直された。それまで大破断が中心であったLOCAについては、中小破断時の事象が重要であることが認識され、わが国の当時の安全研究年次計画を急遽変更して発足したROSA-4による研究などは、世界を代表するものであった。わが国では1981年に、これらの研究結果を踏まえて、それまで大破断をもっぱら対象としていたECCSの性能評価指針が、中小破断も含めて事故の全スペクトルをカバーする様に全面的に改訂されたが、これは世界に先駆けたもので、我々が誇りにしても良いものであろう。

  また、シビアアクシデントに関する研究も体系的に開始された。前にも紹介したOECDLOFT計画は、いくつかの実験をシビアアクシデントに充て、最後の実験では、LOCA時にECCSのスタートが大幅に遅れた場合に、炉心のある部分だけを損傷させ、他の部分の健全性 は維持されるという条件を設定し、計画とおりの結果を得たことなどが、特筆すべき成果である。これによって、当時の解析技術が十分信頼できるものであることが実証されたと評価されている。

  これに加えて、溶融炉心による水蒸気爆発、溶融炉心とコンクリートとの相互作用、金属-水反応等によって発生する水素の燃焼爆発等々を考慮に入れた、格納容器の健全性研究、シビアアクシデントの環境下でのFPの挙動の研究など、シビアアクシデント時の現象の解明の研究は、枚挙に暇がないほどである。

  また、事故が設計の範囲を超えるような場合の、現場での知識ベースに基づく臨機の処置、すなわちアクシデント・マネージメントが重要であることも、先に述べたCSNIの専門家グル-プによって指摘されて広く認識され、わが国のROSA-5.計画などが発足した。これらの研究を踏まえ、わが国では事業者の責任でアクシデント・マネージメント策を策定すべきことが強く推奨され、各電力会社は、それぞれのプラント個別のPSAの結果などを参照して、アクシデント・マネージメント策を策定しはじめた。

  これに加えて、TMI事故では、運転員の誤った状況判断が決定的な役割を果たしたことから、それまでややもすると「安全」とは安全系の設備のこと、と短絡する傾向があったのが、「安全運転」も重視されるようになり、認知心理学などを取り込んだ人間工学的考察を踏まえ、更に技術の進歩も反映して、制御室のマンマシンインターフェイスの設計などは、従来のものに比して面目を一新するほどになった。

  また、TMI事故、チェルノブイリ事故そして1999年のJCO事故などで、原子力防災対策と、放射線災害発生時の医療活動の重要性が意識され、これらを充実させるための研究も開始されている。

 

6.リスクを考慮した安全管理

  このような状況を見ると、先に紹介したWASH-1400の結論が、極めて正しかったことが改めて分かる。当然、確率論的安全評価(PSA)の価値が再認識され、手法の改良や拡張の研究が一層活発に行なわれるとともに、個々の軽水炉プラントにこの手法を適用することによって、それぞれのプラントの固有のリスク支配因子を摘出すること等が進められている。また、こうしてそれぞれのプラントのリスクが定量的に評価できるようになってきたことを踏まえ、「リスクを考慮した安全規制」「リスクを考慮した安全管理」等の新しいアプロ?チが各国で追求されている。また、社会が受け容れることができるほど十分に低いリスクを目指して努力するための「安全目標」策定の動きが、わが国でも始められている。平成11年版の原子力安全白書では、JCO事故後の政策として「リスク評価の概念に基づく安全確保を目指し・・・検討を進める」と述べられ、これがその後のわが国の原子力安全の基本政策の一つになっているところである。

  このような政策が考慮されるようになった背景には、リスク評価手法が次第に成熟してきたことがある。現在、日本の軽水炉は全てプラント固有のPSAを行なっている。そもそも安全対策というのは、施設のリスクを正確に認識しこれに対処して危険性を軽減するというのが目標で、それは従来の決定論的手法でも変わるところはないのであるが、この新しいアプローチは、成熟度を増し信頼度を高めてきた最近のリスク評価結果を、より直接的・明示的に意志決定の根拠としようとするものである。

  だが、これまでのPSAのほとんどは、起因事象がプラントの内部にあるものを対象とした、いわゆる内部事象PSAであって、炉心損傷あるいは格納容器損傷までを評価するレベル1あるいは2に留まっている。さらに、軽水炉でも、地震などの外部事象を考慮に入れたPSAは、まだ不確定性が多く、成熟という段階に達したとは言いかねる。

  軽水炉以外の核燃料施設、更には放射性物質の廃棄に係る活動に関するPSA等は、わが国でも六ケ所村の再処理施設についてPSAが試みられ、また米国などでは濃縮施設や廃棄物処分のリスク評価も試みた例がある。しかし、これらについては、まだ解析例もこれらに対するピアレビューも十分な段階に達しておらず、更に慎重に検討すべき段階と思われる。

  このような、未成熟なPSAがまだ存在していることの問題点は以下の通りである。すなわち、リスクを考慮に入れた安全管理あるいは安全規制は、PSAのみにたよるというものではないが、それにしてもPSAが中心的存在であることは明らかである。例えば、軽水炉のPSAで地震などの外部事象の取扱が十分成熟していないとすると、これによって形成されるリスク・プロファイルあるいは安全像が不正確なものになり、ゆがんだ姿になってしまうかもしれない。それでは、これからの安全研究、したがって安全性の姿が、良くバランスのとれた健全なものでなくなるおそれがある。軽水炉の外部事象のリスク評価手法を充実し、更にまた軽水炉以外の原子力施設や活動に対するリスク評価が十分信頼できるものになるように、一層の研究開発が望まれるところである。

  また、特にわが国で高速炉もんじゅのナトリウム漏洩事故の時に体験されたことであるが、これまで原子力安全とは直接関係がないと思われていた技術分野の知見が、事故時の事象解明とその対策に必須のものであったことが発見され、他分野との情報交流とそれに基づくより広い問題意識の育成が必要であるとことが痛感された。

  もともと安全研究は、その黎明期においては、何か新しいことが見いだされるとそれに対して極めて即物的な答が求められ、学問として根の座った発展をするのはそれから後でという感じがあった。かつてECCSの効果に疑問が生じた頃、ECCSの冷却効果を予測する実験式を定めるために行なわれたFLECHT実験などはその典型的なもので、現象の理解は二の次でともかくどれだけ冷えるかを数値的に予測することだけが追求されたのである。しかし、今や安全研究はこのような言わば原始的段階を脱却して、「学問」としてかなり成熟した段階に達し、他分野との交流もその意味で必要にもなったし、また容易にもなったと思われる。

  これと関連して、これまで安全研究というものは、全くの技術的分野、つまり自然科学の分野に属すると思われていたのであるが、原子力が社会に定着するにつれて、社会科学、人文科学との交流も必要であることが感じられている。例えば1999年に発生したJCO事故に対する原子力安全委員会の調査特別委員会は、委員の約40%が社会科学・人文科学の専門家で、このような分野からの提言もまた極めて貴重なものとして報告書に記載されている。このような「学際」を埋めるような研究活動も、安全研究の一環としてその必要度が増加していくと思われる。

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