リスクで安全を考えよう

 我々は日常生活の中で、常にリスク(危害または災害を受ける恐れ)に曝されて生活していることを認識しなければならない。

 そしてリスクでものを考えるときには、リスクとベネフィット(便益)の二律背反関係を認識し、またバックグラウンドのリスク(人為的でないリスク)を斟酌して、適切にリスクの低減を図らなければならない。

 この際コスト・ベネフィットも考慮して最適のリスク低減方策を図る必要もあるであろう。

 次の論文はリスクに関する解説書であります。

「リスク」を考える

村主 進
原子力システム研究懇話

(原子力システムニュースVoL.17 No.2(2006.9)に掲載のもの) 

 

1.リスクとは

 「リスク」とは分かりやすく説明すれば「危害または災害を受ける恐れ」である。リスクとは過去の危害や災害ではなくて、将来受けるであろう危害や災害のことである。しかしながら将来の予測に過去の被害データを用いることが多い。このため一般にリスクを現実の被害と間違えて理解している人も多い。

さて人々は日常生活の中で常にリスクに曝されて生活しているものであるとの認識が薄い。しかし、日常生活は安全であるとの考えは間違いである。我々は日常生活のリスクを現実的に定量的に把握し、リスクをできるだけ少なくし、それによって起こるベネフィットの低下をできるだけ少なくして、差し引き安全な生活を進めなければならない。ここに「ベネフィット」とは、利得とか利便といえば理解できるであろう。

 一方日常生活で「安全」とか「安心」という言葉がしばしば用いられているが、この安全とか安心は人々が情緒的に感情的に把握しているものである。ある人が安心と思っても他の人が安心と思わないことが多々ある。このように物事を情緒的に感情的にとらえていて、理性的に考えなければ、ディベートしても何ら結論が纏まらず平行線のまま推移するだけである。

 このような問題を解決していくには国民は、定量的、理性的に取り扱うことのできる「リスク」で物事を考えなければならないと考える。

2.リスク評価について

一方国民の方もリスクに対する考え方に問題がないわけではない。

リスクの考え方は二つの過程を通して発展してきたと考えられる。一つは産業規模の大型化と共に進展してきた過程である。単位生産量あたりの労働災害は減少してきているにもかかわらず、産業規模の大型化と共に1事故あたりの被害が大きいために、被害の大きさを情緒的、感情的にとらえる嫌いがある。

他の一つは国民の健康意識の高揚と共に食品添加物、医薬品、化学物質のリスクが強調されるようになったことである。最近は環境リスク、廃棄物リスクの論議もされるようになった。しかしここでもリスクを情緒的、感情的にとらえて、安心のために、リスクを大きく考える嫌いがある。

しかしリスクを定量的に評価するようになれば、リスクは正しく受け入れられ、リスクを大きく捉える情緒的、感情的な傾向は低下するであろう。

さらに、世界人口の増大およびエネルギー需要の増加が地球規模のリスクの増大、すなわち地球温暖化による人類の存続を脅かすリスクの増大が予想されるようになったので、リスクはより定量的に正しく評価しなければならない時期にきているものと考える。

 

3.リスクとベネフィット

リスクで物事を考えれば、ベネフィットについても考えなければならない。一般にリスクを低減しようとすると、これに伴いベネフィットが低下するものである。またベネフィットを得ようとすれば、必ずリスクは伴うものである。

したがって、どの程度リスクを下げようとすればどの程度のベネフィットの低下をもたらすのか、またどの程度のベネフィットを求めればどの程度のリスクが増大するのか、リスクとベネフィットをトレードオフしなければならない。しかもトレードオフの内容、すなわちリスクの低減化、最適化、正当化は透明であって、国民に理解されるものでなければならない。

例えば、自動車利用のリスクはかなり大きいものであるが、自動車事故のリスクを限りなく減らすには、交通規制強化では間に合わず自動車台数を限りなく減らさなくてはならない。これではリスクを減らしても、日常生活を不可能にする(ベネフィットが極端に低下する)ものであって、しかもこのことを国民がよく知っているので、自動車利用を現状でよしとしているものである。

このように、リスクおよびベネフィットの評価の内容が透明であれば、産業、衛生、健康などのリスクは国民の理解が十分得られるものと考える。

しかし、どのようなデータベースを使ってどのような手法でリスク、ベネフィットを求めたかを分かり易く説明できなければ、すなわち、その手法が国民にとって透明でなければ、リスクも「安心」と「安全」と同様に情緒的、感情的にしか把握されない。

 

4.バックグラウンドのリスク

また、我々は日常生活において常に多くのリスクに直面している事実も認識しなければならない。すなわちあるリスクを問題にしようとするときに、当該リスク以外にバックグラウンドとしてのリスクが存在するものである。生命について云えば、病気になるリスクがある。ガンになるリスクもかなり大きい。家庭において転落事故、転倒事故のリスクがある。自動車事故のリスクも大きい。労働によって生計を維持するときに、労働災害や通勤途上に交通事故に遭うリスクもある。

したがって、人為的でないバックグラウンドのリスクも斟酌して、リスク・ベネフィットをトレードオフする必要もある。

 

5.マスメディアの報道を正しく理解しよう(正しくリスクを評価するために)

さて、リスクを公衆に正当に認めてもらうために一つの障害が考えられる。それはマスメディアの報道姿勢である。マスメディアは読者・視聴者獲得競争のためにも、受け入れ側の興味を引くように編集するものである。すなわちニュース価値のあるものは報道するが、ニュース価値のないものは報道されない。

物事の本当の姿は全体を見て初めて正しく理解されるものであって、物事の一部だけでは間違った知識を生むものである。特に受け入れ側の興味を引くように編集すれば、さらに間違いの度合いは多くなる。

これが国民の誤解を生む基になる。このような報道姿勢であることを国民は十分知らなければならない。

リスクは事故、故障のデータを忠実に用いて求めるものであるので、事故、故障の正しい情報が流通しなければ、リスクは国民に正当に受け入れられない。

この障害を克服するには、メディアリテラシーを普及することである。リテラシーとは「読み書きができる」の意味である。メディアリテラシーとは、メディアの特性や社会的な意味をよく理解すると共に、メディアが送り出す情報を「構成されたもの」として建設的に批判することである。

メディアが送り出す情報は、現実そのものではなく、送り手の観点から捉えたものの見方のひとつに過ぎないものである。

メディアリテラシーはマスメディアの報道に対する国民の側からの対抗手段であって、かなり前よりメディア情報に対して、メディアリテラシーの重要性が主張されてきた。

メディアリテラシーを正しく推進するためには、安全および衛生に関する研究に携わる者は、研究によって得られた知見に基づき、安全および衛生関係者に正しい知識を普及しなければならない。また安全および衛生に携わる者は的確な知識を吸収して、これを国民に伝達しなければならない。

これによって、メディアリテラシーが普及し、国民が正しい安全知識を持つようになるであろう。そして正しいデータに基づく正しいリスク情報によって、国民にリスクの内容が正しく受け入れられるであろう。

「安心」および「安全」の理解のためにも、定量的に取り扱えるリスク分野の推進を望むものである。