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2. 原子力技術の導入

 米国はその頃、戦後の好景気の中で豊富な資金と原爆開発を基盤とした高い技術力をもっていたため、いくつかの国立研究所や民間のメーカーがさまざまな型式の原子炉や設備をつくって実験研究を行い、原子力発電技術の可能性や最適な原子炉の模索、安全性の確認などを進めていた。

 わが国でも、戦前には原子物理学分野では世界的レベルの研究もなされていたが、原子力発電技術については、1952年のサンフランシスコ平和条約(日米講和条約)で独立を回復した後、米国の対日原子力研究支援によって米国から導入した技術と貸与されたウランによって、1956茨城県東海村に設立された日本原子力研究所で原子力発電の研究が始められた。同研究所は小型研究用原子炉JRR1,2,3および動力試験炉JPDRを建設し、これらはわが国の原子力発電の商用化と国産化、ならびにそれを担う技術者の育成に大きく寄与した。

 1954年には旧ソ連が独自のチャンネル型黒鉛減速軽水沸騰水炉で世界初の原子力発電所(5000キロワット)を完成させた。これを急速に大型化した原子炉が後に(1986年)チェルノブイルで大事故をを起こしている。1956年には英国が世界最初の商業発電用の黒鉛減速炭酸ガス冷却炉(コルダーホール改良型炉、6万キロワット)を完成させていた。

 そこでわが国は、わが国同様エネルギー資源の乏しい英国(北海油田はまだ発見されていない)が開発したこの型式の炉を輸入することとなった。その建設主体として、いわゆる「正力・河野論争」といわれる民間会社か国営会社かの対立があったが、最終的には民営色の強い国策会社「日本原子力発電会社」が官民により設立された。國の重要エネルギー政策である原子力発電を民営の効率経営のもとでおこなうというこの方針は、原子力開発におけるわが国のいわゆる「国策民営」の嚆矢、といってもよい。これがその後に続く民営9電力会社による大規模な原子力発電開発の進展につながっていった。

 また、原子力プラントメーカーなどの民間の原子力産業においても、高度かつ広範囲な原子力技術にかかわる技術の総合化と、巨額な必要資金の調達・結集を目指して5つの原子力グループが結成されていた。三菱グループ、住友グループ、三井グループ、東京原子力グループおよび第一原子力グループである。そして、わが国最初の商用炉は富士電機・第一原子力グループを主契約者とする日本原子力発電会社による英国コルダーホール型ガス炉発電プラントであったが、それに続く米国型軽水炉発電プラントの建設にあたっては、初号機の輸入に続く国産化では、加圧水炉(PWR)は米国ウエステイングハウス(WH)社と技術提携した三菱重工が、また沸騰水炉(BWR)は同じく米国のジェネラルエレクトリック社(GE)と提携した東芝と日立が、それぞれ主契約者となっていった。その他の原子力関連の産業・企業も原子燃料や機器製造、建設工事・保守工事などの広範な分野に参加して質の高い仕事をしている。

 このようにしてわが国初の商業用原子力プラント、東海原子力発電所(166000キロワット)は1960年着工、1966年に運転を開始し、32年近く運転されて19933月に停止、現在解体工事中である。

 

 ここで、草創期の原子力発電におけるわが国への英国の影響や諸外国の原子力の初期事情について触れておく。

 米国で開発された軽水炉の今日の隆盛を見れば、なぜわが国が初めての発電炉として英国型の天然ウラン燃料の炉を選択したのか、疑問に思う向きもあろう。しかし当時の日本の見方は、米国は原爆を開発したが原子力発電の開発には遅れている、英国は核兵器用のプルトニウム生産炉に適した天然ウラン・黒鉛減速炉をいち早く商業用に改良したので原子力発電では英国こそが世界のトップ、というものであった。商用化のためにマグネシウム合金を使った原子燃料を新たに開発したのでマグノックス炉ともいわれる。こんなことからも当時のわが国が英国の原子力技術を高く評価していたのであろう。

さらに、現在でこそウラン濃縮事業は商業化されているが、当時は濃縮技術は米国の独占であり、このため英国は天然ウランを使う原子炉を選択せざるを得なかった。石炭しかないという国内エネルギー資源事情から言えば、当時のわが国も英国と同じであったため、英国型天然ウラン炉を選択したもの、と考えられる。英国が世界に先駆けて第1500万キロワットという意欲的な原子力開発計画を公表していた。

また国内資源に乏しい英国は原子力発電を準国産エネルギーと位置づけて、当初から使用済み燃料の再処理と高速炉によるプルトニウム増殖利用を原子力開発の中軸とし、途中、これを補完するSGHWR(重水減速水冷却炉)も開発するが、その後北海油田の発見や俗に英国病といわれる経済の低迷によって、この炉も高速炉も開発が中止された。わが国もある面英国を手本にして、軽水炉(熱中性子炉)から高速炉への路線の中でこれを補完するATR(新型転換炉、英国のSGHWRと類似)の原型炉を自主開発するが、その後の軽水炉の成熟のなかで必要性が薄れてきたため、実証炉建設に至らなかった。しかしわが国は高速炉については、実験炉「常陽」から原型炉「もんじゅ」まで開発してきた。「もんじゅ」は10年前の二次系配管のナトリウム漏洩事故以来停止していたが、再開に向けて改造工事中である。

国内にウラン資源を豊富に持つカナダは英国と同じく天然ウランを使った原子炉を選択したが、天然ウランをもっとも効率よく使うために減速材に重水を採用して独自の「CANDU」炉を開発し、海外にも輸出している。「CANDU」とは「カナダ型重水炉」の意味の他に「われわれもできる(CAN DO)」という意味があるそうだ。

フランスもはじめは天然ウラン燃料の黒鉛減速炭酸ガス冷却炉を開発したが、大戦前の植民地を失うとともに国内エネルギー資源の乏しい國として輸入の化石燃料に頼らずに、新設発電プラントをすべて原子力とする決断に基づいて、米国から導入した軽水炉技術を国産化し、現在は電力供給の75%を原子力でまかなっている。

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